コクリコ坂から LST 朝鮮戦争 松崎海の父はなぜ死んだ? 沢村雄一郎の船が沈没した原因 ネタバレ


コクリコ坂からで、松崎海の父親・沢村雄一郎が死んだ原因・朝鮮戦争での「LST(エルエスティー)」とは?

スタジオジブリのアニメ映画「コクリコ坂から」で、松崎海の父が乗っていた船は、なぜ沈没したのか?

そもそもなぜ朝鮮戦争に日本の船乗りが乗っていたのか?

「コクリコ坂から」最大のナゾ、私も含めて、リアルタイムに生きていないほとんどの観客には「?」だと思いましたので、調べてみました。
↓(ネタバレです!注意!)



日本が連合国(アメリカ・イギリス・中国など)と戦った太平洋戦争(大東亜戦争)は1945年に集結しましたが、その後1950年から朝鮮半島で南北に別れて戦争が始まりました。日本統治後に成立した二つの国・韓国と北朝鮮の戦いで、これがいわゆる朝鮮戦争です。

当時の日本は敗戦国で、まだ占領軍であるアメリカ軍(GHQ)が統治しており、軍隊はすべて武装解除されて自前の軍隊は持っていませんでした(もちろん自衛隊の発足前)。


当時この戦争に介入していた国連軍(実質上アメリカ軍)は、北朝鮮への上陸作戦の際に、北朝鮮が海中に施設した機雷を除去する必要があり、海域の地理に詳しく熟練していた当時の海上保安庁(ほとんど元海軍軍人)にこの任務を依頼したのです。

しかし当然のことながら、朝鮮戦争の行われいてる海域での機雷除去作業というのは、戦争行為そのものです。これはアメリカが日本に押しつけた新憲法に抵触し、なおかつ日本側の隊員の犠牲者を伴うことが予想される、非常に危険なものでした。

対する日本側の当時の状況は、アメリカとの講和条約の締結交渉に入ったばかりであり、ほぼ完全にアメリカに支配された状態でした。講和条約の締結交渉を先に進めたい日本政府としては、この時点での任務の申し入れ拒否は事実上不可能であり、国連軍(事実上アメリカ)としては、技術も経験も乏しかったので、日本の「元海軍」に依頼するより手段がなかったのです。


かくして当時の吉田首相の命により、任務は秘密裏に行われることになりました。しかしこれは祖国日本のためではなく、実質アメリカ(占領軍)のためであり、しかも任務が公にされることもなく、仮に死んでも名誉の戦死ですらないのです。


下関港に集結した日本の掃海隊は、米軍の命令で船名も消され、日の丸を掲げることも許されずに、無灯火で北朝鮮の元山(ウォンサン)まで航行しました。

現地での戦闘と機雷の除去作業はアメリカ・日本の区別なく熾烈を極め、多くの犠牲者を出して集結しました。



しかし映画「コクリコ坂から」の中で、松崎海の父・沢村雄一郎は「LST(揚陸艦)に乗船していて、船が沈没した」となっています。

「LST(エルエスティー)」の正式名称は、「Landing ship,tank」で、「戦車揚陸艦」です(揚陸艦というのは直接岸に乗り上げることが可能な軍事輸送船のこと)。

この揚陸艦というのは戦時中に日本軍が使っていた艦艇を、占領軍が日本に対して「貸与する」という形をとり、後方支援として海上輸送に使っていたもののようです(つまり上記の機雷掃討作戦にあたった艦艇とは別モノ?)。


また、この海上輸送には一般商船も使われていたようで、劇中で語られている「LST(揚陸艦)」というのは、もしかしたら朝鮮戦争での後方支援に使われていた海上輸送船全般を指すのかもしれません。

松崎海の父・沢村雄一郎は商船大学の出身で軍人ではなかったようなので、おそらく海上輸送船としての「LST(輸送船としての意味)」に乗船していて、任務中に船が沈没したのではないでしょうか?(このあたりは断定は避けますが)


この朝鮮戦争の海上輸送任務に関しては、上記の機雷掃討作戦よりもさらに扱った文献も少なく、「忘れられた戦後史」のひとつになってしまっています。


そして、この設定は↓原作のマンガ「コクリコ坂から」にはないものです。
■映画の脚本を書いたのは宮崎駿なので、この事実にあえてスポットを当てたのは、観客に対して何らかの訴えたいメッセージがあったのではないかと思いました。

私個人としては何か、福島の原発事故の現場で働く作業員のみなさんにも、似た気持ちを感じてしまいました。


また、アニメ映画「コクリコ坂から」は、背後にこうした重いテーマを含みつつ、それをさらりと見せてしまう語り口の軽さがあります。
重たいことを重たく見せるのは簡単なことですが、軽妙な語り口で表現するのは相当なテクニックを要すると思います。

少なくとも「コクリコ坂から」での宮崎吾朗監督の演出は、「確かな技巧派」を感じさせるものでした。



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